2020年3月9日(月)
先日、素敵なご縁をいただいた「笑福園」(滝川市)の店主・木戸口寛さん・邦子さんご夫妻に、ゆっくりとお話を伺いました。
笑福園 個室
農家生まれの木戸口寛(きどぐち ひろし)さん
中学時代まで:新十津川町
新十津川町ご出身の木戸口寛さんは、1946年(昭和21年)生まれの73歳。実家は農家で6人兄弟の三男坊。当時の農業は、まだ馬や鋤の時代でした。
お米とぎや味噌汁作りなど、家庭のまかないの手伝いをして過ごした小学校・中学校の時代。夏はトマト、ナス、キュウリ、カボチャ、スイカなどを採取し、春の田植えシーズンは「せり」を採取してお浸しに。すべて、親から言われてやるのではなく、自主的に行動していた木戸口寛さんでした。
高校時代:滝川市
農業を辞めて滝川市に移転した木戸口家。高校生の木戸口さんは、当時、警官になることを夢見ていた青年でした。
当時、印象に残っているのが、商店街で販売されていたトマト! 木戸口さんにとって、トマトは、畑から採取するもので、お金をだして買うということが、自分にとってはとても不思議な感覚でした。
師匠・道場六三郎氏のもとへ丁稚奉公
木戸口さんは高校卒業後、ご親戚の道場六三郎氏の銀座店に、住み込みで丁稚奉公へ。道場師匠の銀座一号店の一番弟子となりました。国鉄のチッキ(手荷物輸送)で布団袋を送り、たった一人で、ボストンバック1つかかえての弟子入りです。
見るもの何もかもが珍しい都会生活
田舎物の自分にとって、都会の生活は未知の世界。見るもの何もかもが珍しい都会生活。「都会生活への順応に、かなり時間がかかりました」と木戸口さん。
修行時代の生活
住み込みでの修行は、4〜5畳間の二人部屋で3食付きの勤務。休日はなく、電話使用禁止、自由な外出禁止、師匠の指示と行動を順守し、勤務時間の定めもなく、常に神経を張り巡らせて過ごす24時間の日々。
「当時、月給は3,000円。住居と3食付きで、仕事を覚えさせていただいので、恵まれていたと思います。しかし、とにかく師匠は、厳しかったです。特に身内には他人より厳しく、鬼のように感じていました」と、しみじみと語る木戸口さんです。
道場師匠から勘当されての旅立ち
東京銀座での修行を13年続け、料理長までのぼりつめた木戸口さん。「独立して、郷里で自分の店を持って一旗挙げたい!」という想いがこみ上げてきました。
道場師匠に伝えたところ、「おまえが店を持つのは10年早い! 技術的に10分の1も習得していない!」と、強固な反対。しかし、「独立したい」という想いは大きく強く、自らの信念をとことん貫いていこうと、師匠の反対を押し切って帰郷。道場師匠から、「勘当」を言い渡されました。
滝川市の貸屋での開業がスタート
1978年(昭和52年)32歳の時、滝川市に帰郷。裸一貫で滝川へ帰郷したものの、お金もツテもなく、熱い想いだけを胸に奔走し、すべて手探りだった日々。栄町にデパートがあり、その角にある店舗と偶然にもご縁があり、貸店舗で開業することが実現しました。
お父様の有り難い応援
当時、お父様が、建築関係の仕事に携わっていので、貸家の内装などを無償でリフォームしてくださいました。貸家の店舗は、経営が厳しい状態のお店だったので、父親はそのお店を借りることに反対。しかし、前に進むしかないと、お父様をなんとか説得して家賃の保証人になってもらいました。
北海道の味を追求した料理作り
最初に遭遇したのが東京都民と北海道民の味覚の違い。東京の料理をそのまま北海道で提供しても通用しませんでした。
例えば、茶碗蒸しは、東京では出汁が薄口で薄味。東京の味で茶碗蒸しを出したところ、箸をつけるがそれ以上食べないで残されている料理を目の当たりに。木戸口さんが、お母様に食べてもらうと「これは茶碗蒸しではない。味が薄い」。お母様ならではの正直なお言葉でした。
以後、木戸口さんは、北海道中のお店をくまなく廻り、北海道の郷土料理を研究し、北海道民の味を表現する努力を重ねました。するとお客様に受け入れられるようになったのです。
365日年中無休で開店
店舗があった栄町には、「鮨の東龍」、「磯料理のにしむら」という老舗が並んでいました。天下の老舗に対抗するには、老舗店が閉店した日に集客が可能なように、365日休日無しでの開店を実施。休日を狙って、お越しいただいたお客さんは全てファンになっていただきたいという真剣勝負の日々が続きました。
団体客の増加、おかわり自由の600円日替わり定食
開業2年目程から、来店してくださるお客様の中に、学校の校長先生がいらしたのがご縁で、学校関係者の来店が一気に急増。忘年会、新年会など団体客の受け入れが取れるようになりました。
さらに、日替わりで600円定食、そして、ご飯も味噌汁もおかわり自由のサービスを提供! 貸屋では、丸10年営業が続けられました。
新社屋での新たな旅立ち
1988年(昭和63年12月)42歳のときに、お店に来店されていたお客様のご縁で、現在の本町の土地を購入。建築に関しては妥協することなく、徹底したこだわりをもって自分の考えを貫きました。
当時、個人事業主としては、初めての1億円を超える銀行融資も受けることが可能となり、念願かなって木造2階建て・席数250の笑福園が新築されました。
開園当時、滝川には「笑福園」のようなお店がなかったので、お店がテレビ、雑誌などに取り上げられ、マスコミでも話題になり、毎日宴会が続きました。
忙しさを楽しさに変えることのできた有り難い経験
「どんなに忙しくても、苦痛はなく、むしろ、自分の想いで成し遂げられることが、楽しかったですよ。
小さい頃、農家の辛さを経験していたので、何事にも耐えられましたね。干した稲架掛けから落ちた稲の一本一本を拾っていた時代だったので、お米一粒の大切さを教えられて育ちました。昔は味噌も手作りしていました。
そうした苦労はすべてに対して通じるものがあり、その苦労を経験している私にとって、どんな困難にも耐えられる自信がありました」と木戸口さん。
師匠・道場六三郎さんから勘当を解かれる
2010年(平成22年)65歳、師匠・道場六三郎さんから勘当されて33年目に、札幌グランドホテルで開催された道場六三郎さんのパーティに招待された木戸口さん。
道場さんのスピーチの中で「今日は、私の一番弟子が来てくれています」と、紹介された木戸口さん。33年振りの感動の再会で、勘当が解かれました。
< 参考情報:Yahooニュース >
◎ 89歳、いまだ現役。和の鉄人「道場六三郎」に料理の神髄を聞く(2020年3月4日)
笑福園の様々な取組
団体受け入れ「春の歓送迎会」
X’mas ディナーバイキング
毎年、奥様邦子さんの誕生日である12月25日に開催される「X’mas ディナーバイキング!」。お客様への感謝の気持ちをこめて、50種類ものお料理が並びます。
※ メニュー表やパンフレットに至るまで、すべて奥様・邦子さんによる手作りです。
お店の人気・ご自慢メニュー
丸加丼
・大海老2本、長芋、かぼちゃ、春前竹(竹の子赤ちゃん)、ナス、パプリカ、生麩の天ぷら
・タレに「万能このみだれ」を使用!
とんかつ定食:道内産生ロースSPF使用
SPF豚とは、豚の発育に影響を及ぼす「特定疾病」にかからない環境で育てる豚。豚の健康管理を第一にすることで、病気によるストレスがなく、健康的で美味しい豚肉となります。
滝川地産地消商品開発の 記事につづく。。。
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☆ noboru & ikuko
笑福園
北海道滝川市本町3-3-25
Tel:0125-23-2828
【営業時間】11:00~22:00
【定休日】 毎週火曜日
【駐車場】 20台分あり
【ホームページ】笑福園