2017年5月25日(木)
枝幸町を訪問した日の夕刻、宿泊先である枝幸温泉ホテルニュー幸林「食事処 海朱」にて、高井瑞枝氏の小学校時代の担任教師・石川光昭先生を囲んでの同級生の方々との同窓会が開催されました。
この会は、昭和22年生まれの同級生の会で、「22会」と命名されています。毎月22日の日に石川先生をはじめ皆さんで集まり、これまで32年間休まず続けられているそうです。
石川光昭先生は、枝幸町生まれの枝幸町育ち、今年81歳(昭和11年・1936年生まれ)の若々しくて、とてもお元気な先生です。
40年間の教職員生活の中で、枝幸町内の3小学校に勤務。枝幸町立目梨泊小学校の校長であった石川先生が、1997年(平成9年)の定年退職時には、新任当時の教え子達30人が集まって退職慰労会が開催されたとのことです。
皆さんの石川先生に対する印象については、
「説教をしない先生」
「常に自分で率先して行動し、子供達を導いてくれる先生」
「身体でいろんなことを教えてくれる先生」
「『先生、あそぼ〜』といって誘いに行くことができた先生」
「頭が真っ黒でふさふさだったので、『石川五右衛門』というあだ名で、皆の人気物の先生でした」
と、石川先生をとても慕っていらっしゃる皆さんです。
思い出のひとつに、石川先生が校長に着任した時の挨拶で、子どもたちに約束した言葉が残されていました。
「皆様のご期待に応えるため、健康な校長、明るい校長、礼儀正しい校長、思いやりのある校長、心豊かな校長になるように精進します」、
「皆さんが、目標に向かって頑張る学校は『日本一の学校』です」、
と、常に子どもたちと心を同じにして、子供達と真摯に向き合っていた石川校長先生。
石川先生が小学校1年生のときの作文を見せて頂きました。枝幸町から出征した村上裕さんに送られた文集の中に掲載されていた作文とのことです。
「兵隊さん お元気ですか。ぼくは1年生です。敵の一年生に負けないで体操したり、勉強をしているんです。ぼくも大きくなったら兵隊さんになるんです。戦車に乗る兵隊さんです」など、戦争ごっこで遊んだこと、軍需物資の代用品となったドン食い(イタドリ)を採取していることなどが綴られた、出征兵士にあてに書いた手紙です。
石川先生が国民学校初等科3年生のとき終戦を迎え、小学校1年生の夏休みの時、上陸してくる米兵をやっつけるといって一人で竹槍訓練をしたり、夏休み後には、1年男子部で戦勝祈願に厳島神社へ行ったそうです。
同級生の友人たちの昔話しや現在の状況など、お話は尽きません。
さらに、石川先生が私達に見せてくださったものは、石川先生の教え子が、持ってきてくれたという小学校当時の通信簿。そこには、石川先生の親御さんへ当てた所見が記されていました。
「・・・彼の人格が、怒りを爆発させることなくよく我慢してくれました。・・・私に何の不平も言わないで努めてくれたことに心から礼をいいたい・・・」等など。。。
石川先生の子供達への真剣なご指導と熱い想いが伝わってくるようです。
石川先生は、書道の先生であり、歌がとても上手な先生。さらに、毎日の日記を大切に記していらっしゃる先生です。
石川先生が枝幸ハナマス大学の入学式に出席されてお話されたことは、「高齢者が元気で長生きするためには、教育と教養が大切である。『教育』は、『今日行』であり、『教養』は『今日用』と考える事」。
今日の出来事をしっかりと捉え、行動していくことが大切であるという石川先生の人生観が伝わってくるお話です。
皆さんの忘れられない思い出のひとつに、「小学校6年生の時、修学旅行に行けない子のため、みんなで修学旅行にいけるようにと雑品・ビン等を集めてお金にした思い出があります」と高井氏。
その風習が今に受け継がれ、中学校での雑品集めが、現在でも行われているそうです。
枝幸の美味しいお酒に、美味しいお料理も沢山並びました!
「石川先生は、『枝幸の宝』、そして私達生徒は『枝幸の宝もの』!」と笑い合う皆さん。枝幸では、「宝もの」は、「どうしようもないやつ」という意味を持つ言葉だそうです。
かけがえのない人々との深い心の繋がりを実感した瞬間でした。
石川先生と過ごした小学校時代の思い出話に花が咲き、笑い声が飛び交う楽しい時間は、あっという間に過ぎていきました。
この貴重な空間をご一緒させていただいたことを心より感謝しお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
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