高橋千秋シェフ・シャトレーゼガトーキングダムサッポロホテル & スパ・リゾートの総料理長(札幌市)

2015年5月12日(火)

プレステージディナー2015の余韻も冷めやらぬ翌朝、
宿泊された参加者の皆さんとともに味わう朝食バイキング会場は、
川面を眺めながらのフレンチレストラン「ル・バラト」です。

食後、髙橋千秋シェフと一緒に感動の記念撮影、パチリ!

髙橋千秋氏を囲んで、皆さんと一緒に記念撮影
髙橋シェフを囲んで、皆さんと一緒に記念撮影

朝食後に、高井瑞枝先生(トータルフード・コーディネーター)のご紹介により、髙橋シェフにお話をお伺いすることができました。

フレンチレストラン「ル・バラト」にて
フレンチレストラン「ル・バラト」にて

髙橋千秋 総料理長のプロフィール・数々の受賞

1951年(昭和26年)北海道白楠町生まれ
・レストラン「コートダジュール・赤とんぼ」を皮切りに渡仏。パリ郊外三ツ星レストラン「カメリア」で、人間国宝シャン・ドラベーヌ氏のもとで修行を積む。帰国後も東京、札幌、神戸、函館と、一流ホテル・レストランで食の完成と技に磨きをかける
・2002年(平成14年)「シャトレーゼガトーキングダムサッポロホテル&スパ・リゾートに移籍、現在に至る
・その腕前は海外でも高く評価され、王様のコック長と呼ばれる氏を称えた「エスコフィエの弟子」の称号を受賞

1996年(平成8年)
・日本ディック社より発刊された料理書『新西洋料理』の中で、日本スペシャリティーシェフに選ばれ紹介される

1997年(平成9年)
・食通達にとって最高のプレステージを持つ団体『シェーヌ・デ・ロティスール』協会の金メダル賞を受賞
・同年チャリティ活動を熱心に行い、イギリスのワールドマスターシェフズ・ソサエティー(アン王女主宰する世界40カ国のシェフ、美食家たちで組織する団体)の金メダル賞を受賞

1998年(平成10年)
・厳しい審査のもとに選び抜かれた最高の技術を認められ、フランス料理界でも最高の権威のある団体アカデミー「キュリネール・ド・フランス(フランス最高料理家アカデミー)の名誉賞を受賞

2000年(平成12年)
・クラブガストロノミック・プロスペールモンタニエ聖フォルチュナ・シュヴァリエ料理勲章を受章

2004年(平成16年)
・八重洲会(日本最高料理家アカデミー協会)の名誉金メダル勲章を受章
・アメリカ・サンフランシスコ、リッツカールトン・ザ・ダイニングで北海道フェアを開催、国内外に高い評価を得る

著書に『総料理長・髙橋千秋の世界』、写真集『ばらとの四季』等があり、名実ともに北海道を代表するシェフです。

幼少時代

「実家が酪農を営んでいたので、小さい頃から家族皆で手伝いをしていました。私は、9人兄弟の末っ子。兄が空気銃で鳥の狩猟を行っていたので、一緒にリュックを背負って猟犬を連れ鴨を捕りに河に行ったものです。また、母は料理が上手で、その中でも魚をさばくのが最も得でした。
私は小学校3年生の頃から包丁を持って手伝っていました。魚だけでなく、当時野放しにされ野生になったうさぎやミンクを捕まえては、捌くのを手伝っていました。ホテルの料理人になったとき、魚・肉を難なく捌いていることを先輩に大変驚かれました」、

と話される髙橋シェフのお言葉から、酪農、狩猟、漁業と様々な生活環境の中で小さい頃から育まれてきた貴重な体験が、今の髙橋シェフの基礎となっていることを感じました。

東京での修行:「赤とんぼ」そして「ホテルオークラ」時代

髙橋シェフは、東京で修行し3年間の実務経験で調理人資格を取得、さらに、仕事をしながら通信教育を受け、高校を卒業されました。

「中学を卒業した15歳のとき、東京を目指し18時間かけて夜行列車で向かいました。列車に揺られながら、日本で有名なホテル・レストランはどこだろうと考え、思いついたところが『帝国ホテル』『ホテルオークラ』でした。東京についてから、ホテルオークラへ直行し、総支配人に合わせてくださいと懇願。ロビーで待っていると支配人が現れ、料理人になりたいという私の話し聞いてくれました。

『髙橋くん、ホテルオークラには、450人くらいの料理人がいます。修行は、従業員食堂からの料理作りから始まり、ウエーターを経験し、ようやくキッチンに入れます。タイミングが合わないと、なかなかホテルの料理人にはなれないものです』という総支配人のお話し。

そのことを理解し、生活のために、レストランで働くこと決め、当時募集があったレストラン「赤とんぼ」(虎ノ門)の門をくぐり採用されました。そのお店は、カレーの有名店で、当時全日空の機内食(サンドイッチ)を提供していました。三鷹市内にアパートを見つけ、そこから虎ノ門通い。朝3時半から出勤しサンドイッチ作り、それが終わると6時からカレー作りを毎日こなしました」。

この時期が髙橋シェフの原点になっているそうです(赤とんぼには2年間程勤務)。
この間、ホテルオークラへの就職を諦めることなく、毎日のように、ホテルに入りたいという想いをこめた手紙を書き総支配人に封書で送付。
2年間にわたり手紙を送り続けたところ、総支配人から連絡がありました。

「こんなに毎日手紙を書いて想いを綴った人は、いままでに一人もいません。社長に手紙を見せた所『こんな熱意のある子はいないので、どこでもいいから使ってあげなさい』という社長のOKがでました。髙橋さん、持っている一番良い服を着て、明日来てください。ホテルは、戦国時代で言えばお城です。ホテルに一歩入ったら、料理人として極める気持ちをもって高い意識で臨んでください」というものでした。

早速、髙橋シェフは、靴を丁寧に磨き、ワイシャツにネクタイをし、一張羅のスーツを着てホテルへ向いました。
そして、最初に配属された場所は、従業員食堂でもウェイターでもなく、最初から洋食のキッチンでした。

「宴会などが多く、多くの仕事をしなければなりませんが、やる気が強かったので、苦になりませんでした。誰よりも朝早くから出勤し、先輩方の下準備など、他の人がやらないようなことを率先して行いました。食器洗い担当は何十人もいるのですが、『誰にも負けない』との想いで、重い銅鍋を顔が映り込むまでピッカピカに磨いたものです。先輩がきれいな鍋に驚いて『誰がこの鍋を洗った!?』と聞かれたりしました」と無我夢中で過ごした日々を熱く語る髙橋シェフ。

人生を熱く語る髙橋シェフ
人生を熱く語る髙橋シェフ

ホテルオークラでの3年間

「当時のホテルオークラには、セクションが30程ありました。私は、様々なセクションに配属されました。普通同じセクションに3~4年配属されますが、私の場合、短いところでは1か月もいないことがありました。『何故自分は、長く置かれないのだろうか、必要とされていないのではないだろうか?』悩み、悔しい想いを抱いていました。その当時は短い期間の配属の意味が理解できず、セクションを変えたセクション長を恨んだことさえありました。最終的には、ほとんど全てのセクションを経験していました。

当時の師匠は、嶋村光夫 セクション長。『見込のあるものには、より多くのセクションを回らせることが、経験と実力につながるものだ。おまえは、これからどんな所ににいっても、どんな料理をしても苦渋することはない。それだけの経験と技を習得したのだから』と最後に言われた親方の有り難いお言葉で、全てを理解することができました。
20歳前後の私を見込んでくれたありがたさをこの時実感しました。洋食全般の全てを経験したのは、当時私だけだったかもしれません。

嶋村光夫 師匠に今だに言われることは『あの時の経験があったからこそ、今の君がいる。今は、どんな料理のオーダーを受けても、考えること無く手が自然に動いて料理をこなすことができるだろう!』というお言葉です」。

じっくりと言葉を噛み締めながら、髙橋シェフは語ってくださいました。
髙橋シェフにとって、ホテルオークラでの経験は、あらゆる料理をこなし、どんなオーダーにもその場で総合的に対処・対応が可能な料理人へと導いていきました。

※ 髙橋シェフの師匠である、フランス料理の名シェフ・嶋村光夫氏(1930年東京都生まれ)は、帝国ホテル、ホテルオークラなどを経て、1987年にロイヤルパークホテル(東京都)の総料理長に就任。1994年フランス農事功労騎士章、1998年オフィシェ フランス農事功労騎士章、2005年黄綬褒章など国内外で多くの受章・受賞を重ねる。2006年にロイヤルパークホテルを退職。

フランス高級レストラン「カメリア」での3年間

当時、フランス料理は最高の料理。ホテルオークラでは、フランスのレストランと提携してフェアが開催されていました。髙橋シェフがホテルオークラに3年務めた20歳の時、フランスへの話しが舞い込み、渡仏。フランス高級レストラン「カメリア」(料理人最高権威者ドラベーヌ氏のお店)で3年勤務、本場で腕を磨かれました。

「函館ハーバービューホテル」「シェラトン」そして「シャトレーゼ・ガトーキングダムサッポロホテル&スパリゾート」

帰国後北海道に戻り、函館ハーバービューホテル(函館市)・シェラトン(神戸市)に14年間勤務。その後、50歳のときに、シャトレーゼガトーキングダムサッポロホテル&スパリゾート(札幌市)へ移られました。。今年で13年目を迎え、現在に至ります。

高井瑞枝先生(トータルフード・コーディネーター)との出会い

左:小渡幸信 所長(粟国の塩・沖縄海塩研究所長) 中:髙橋千秋シェフ 右:高井瑞枝 先生
左:小渡幸信 所長(粟国の塩・沖縄海塩研究所長) 中:髙橋千秋シェフ 右:高井瑞枝 先生

「私が、函館ハーバービューホテルにいた時の食事会(イベント)に高井先生が参加されました。そこで出会った時が最初で、高井先生とは20年来のお付き合いです。
高井先生は、私のイベントにはいつも来てくださって、様々な素晴らしい人々を紹介してくださったり、一級品の食材を紹介してくださったりして、とても有り難い存在です」と髙橋シェフ。

明るい対応で、すべてを前向きに考える姿勢

「職場のスタッフたちには常に明るく元気で接し、楽しいこと良いことは、大きな声で皆で喜びを常に分かち合っています。すると、若い人々のやる気が沸き起こって、どんどん良い方向へ進んで行きます。
昨日のディナーでは、ホテルの全てのセクション(和食・中華・鉄板など)のスタッフが仕事をしています。スタッフみんなが、自分のセクションの仕事だけでなく、お互いに協力し合い、助け合いながら仕事しています。他のセクションの仕事を手伝うことによって、お互いがそれぞれの仕事の良さや大変さを知る良いきっかけとなり勉強になります。ホテルの中で協力しあうことで、色々なセクションを経験できる貴重な体験になっています」と前向きな姿勢で行動される髙橋シェフ。

築き上げてきた信念「与えられたものは、絶対に失敗しない」という姿勢

「今まで、実際に一度も失敗はありませんでした。仕事を与えられて実行する前には、徹底的に本を読んだりしてあらゆる情報を収集し、自分の中に吸収してから実行に移しました。『失敗しない』という信念は、母の教えが基本となっています。
『飯寿司を作るときも、漬物を作るときも、野菜は一つ一つ違うもの。塩加減は毎回異なる。季節ごとにも、作る度にも変わっている野菜の状態を把握しながら料理を変化させて味付けをしていくことが大切』ということを教わってきました。料理をする前に五感を使って食材を確認し、出来上がった状態を予想するという、事前の準備が大切だという基本なのです。
魚や肉をい使うときでも、レシピのまますぐに調理するのではなく、材料を触ったり、裏返したり、突いたり、匂いを嗅いだり噛んで味を確認することが大切なのです。食材の状態を五感で確認して、出来上がり状態を読んで料理することは、母親から自然に学んでいたことです」。

お母様のお言葉「頭に描いたことは言葉にしなさい。そうすれば必ず実現します」

「亡くなった母親の言葉は『頭に描いたことは言葉にしなさい。それがとんでもないことでも、誰かが心の片隅に描いてくれるのもです。ものごとは、言葉にすると必ず実現します』です。この母の言葉を私はいつも心に描いています。そんな母に対して大変残念なことがひとつあります。それは、83歳で亡くなった母に私の料理を食べさせてあげられなかったことです」

人生最後の仕事「人生最後に、もう一度食べたいと思えるような美味しいお料理を作ること」

優しいまなざしの髙橋シェフ
優しいまなざしの髙橋シェフ

「立派なホテルでの料理も大切ですが、人生最後のときに『あのお料理が美味しかった』と想われるようなお料理(ソース・スープ)は大切な思い出です。人生の中で『最後にもう一度あの料理を味わいたい』と思われるような料理を作ることが、自分にとって最後の仕事だと思っています。
以前、私を可愛がってくれた帝国ホテルの村上先生の料理研究所のメンバーだった頃の話です。先生から「高齢者のお客様から『人生最後に食べたいものは、帝国ホテルのコンソメスープです』という嬉しいお話をいただきました」というお話を聞いて、人生において、食べものは文化であり、とても大切なものであることを実感しています」と髙橋シェフ。

小さい頃から、生かし生かされる生命の循環を生活環境の中で実践し、「命をいただく」ことの尊厳さと偉大さを実感して、「食」という道を歩んでこられた髙橋シェフです。

「すべてを前向きに明るく、
成功する自分を描いて歩んでいけば必ず実現する」
というお母様のお言葉と重なり合う髙橋シェフの人生。

髙橋シェフの限りない誠実さと忍耐と絶え間ぬ努力に
大いなる尊敬と感謝と祈りをこめて。。。

茨戸川に沈む夕陽
茨戸川に沈む夕陽

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「ファームイン守人(まぶりっと)」(えりも町)に再訪

2015年1月20日(火)

今回2回めの訪問となった「ファームイン守人(まぶりっと)」。

前回は、トータルフード・コーディネーター 高井瑞枝先生のご紹介で訪問。
2回目の今回は、東海汽船の総務部長・藤間修さんと共に来訪しました。

東海汽船(株)総務部長・藤間修さん
東海汽船(株)総務部長・藤間修さん

東海汽船(株)は、伊豆七島に就航している海運会社です。
そして東海汽船のレストラン船として東京湾遊覧船を運航している会社が、東海汽船のグループ会社・東京ヴァンテアンクルーズ。

東京ヴァンテアンクルーズは、私達夫婦にとって、御縁の深い船。

昇さんの出身大学の東京商船大学と、神戸商船大学の合同同期会が毎年7月に開催されている船であり、2009年9月には、東京・神戸商船大学卒業30周年の同期会が、東京ヴァンテアンクルーズで開催されました。

さらに、私達が北海道に移住したのが2010年3月末、その2ヶ月後の5月29日に、私達夫婦の新たな旅立ちへの歓送会が開いて頂いた会場が「東京ヴァンテアンクルーズ」です。

この日、昇さんの商船大学の同期の友人、大学の全寮制の同室の先輩や後輩の方々、昔の仕事関係の上司や同僚、40名程の皆さんが集まってくださいました。

ヴァンテアンでの歓送会(2010年5月29日)
ヴァンテアンでの歓送会(2010年5月29日)

そして、この日の司会をしてくださったのが藤間修さん。

司会者・藤間修さん
司会者・藤間修さん

藤間さんは、東京商船大学27期生の同期であり、現在、東海汽船(株)の総務部長さん。藤間さんは、その歓送会の企画、参加者への連絡、会場設定、司会に至るまで様々なお世話をしてくださいました。

思えば33年前の私達の結婚式の司会をしてくださった藤間修さんと徳永政男さん。

会者・藤間修さん(右)と徳永政男さん(左)(33年前)
私達の結婚式の司会者・藤間修さん(右)と徳永政男さん(左)(33年前)

懐かしくアルバムを開いてみたら、写真とともに、当時の司会の言葉が、すべてアルバムに記載されていました。

33年の時を超えて、蘇ってきたあの日。。。

明治記念館での結婚式(1982年10月2日)
明治記念館での結婚式(1982年10月2日)

藤間さんは、私達夫婦にとって、「結婚」の旅立ちと「セカンドライフ」の旅立ちという人生における2大イベントの大切なターニングポイントに立ち会い、そばでいつも見守ってくださる大切な友人なのです。

そんな深い御縁がある「東京ヴァンテアンクルーズ」。

東京ヴァンテアン 提供:MAPPLE 観光ガイド
東京ヴァンテアン 提供:MAPPLE 観光ガイド

前回「ファームイン守人」に訪問したとき、高橋祐之さんから、「えりも短角牛」が「ヴァンテアン」に納められているというお話を聞いたときは、ほんとにビックリ!

ヴァンテアンの料理長が、直々えりも町の短角牛王国・高橋ファームを訪れ、高橋祐之さんとの交流を経て、ディナーの食材にえりも短角牛の採用を決定したそうです。

えりも短角牛ロース肉は、ヴァンテアンのスペシャルプランのアニバーサリープラン、その中の最高級コース「ラグジュアリー(ディナータイムクルーズ)」のメインディッシュに採用されています(ペアで¥45,000)。

このコースは、最高のお料理と窓側席優先の特典付きのプライムプランです。こうしたご縁繋がりで、藤間さんの今回の「えりも短角牛を味わう北海道の旅」が実現しました。

夕食

焼肉小屋へ移動する前、オードブルとして登場した「えりも産毛ガニ」に感謝感激!

えりも町は、北海道有数の毛ガニの名産地であり、12月に毛ガニ漁が解禁になったばかり、まさに最盛期の毛ガニです。

最盛期のえりも産毛ガニ
最盛期のえりも産毛ガニ
プリップリの毛ガニの足
プリップリの毛ガニの足
高橋さん自ら裁いてくださった毛ガニ
高橋さん自ら裁いてくださった毛ガニ
「これがえりもの毛ガニです」「ほぉ〜〜〜!」
「これがえりもの毛ガニです」「ほぉ〜〜〜!」

言葉が出ない程の美味しさ!
ただひたすら味わい尽くしました!!!

そして、焼き肉小屋へ!

スペインのワイン(辛口フルボディ)の「Marques de laConcordia」(マルケス・デ・ラ・コンコルディア)は、高橋さんからの嬉しいプレゼント!
お肉と相性のいい、果実の香り豊かなワインです。

スペインのワイン
スペインのワイン

えりも短角牛は、極上のリブローズステーキをはじめ、カルビ、サガリ、タン、ハツ、ミノ、レバー、ホルモン、ウインナーなどなど。

感動のリブロースステーキ
感動のリブロースステーキ

野菜は、もやし・玉ねぎ・キャベツ・かぼちゃなど盛り沢山。味付けは塩コショウのみで、高橋さんご夫妻自ら、手際よく焼いてくださました。

奥様・秀子さんも一緒に
奥様・秀子さんも一緒に
手際よく焼いていく高橋さん
手際よく焼いていく高橋さん
美味しい短角牛が勢揃い
美味しい短角牛が勢揃い
野菜たっぷり!
野菜たっぷり!

お肉の脂身は、普段口にしないという藤間さんが、パクパクペロリと平らげてしまいました!

ジュワーッと醸しだされる短角牛独特の旨味に感動しながら、じっくりと噛み締め、ゆっくりと味わい尽くしました。

えりも短角牛の素晴らしさを存分に堪能できたことを心より感謝いたします。ごちそうさまでした。そして、ありがとうございました!

食後、宿泊棟「ファームイン守人」で飲み会

食後に登場したものは、秀子奥様手作りの「鮭の飯寿司」。
ほどよい酸味と旨味が凝縮して、とってもまろやかな味わいで実に美味しかったです!!!さすが!秀子さん!

秀子さんの手作り鮭の飯寿司
秀子さんの手作り鮭の飯寿司

そして、藤間さんがお土産に持参してくださったのは、長野の日本酒蔵元 信州銘醸の純米濃縮熟成酒「醲献(jo-con じょうこん)」。

純米濃縮熟成酒「醲献(jo-con じょうこん)」
純米濃縮熟成酒「醲献(jo-con じょうこん)」

「醲献」は、米の磨きを極力抑えた酒米を使用し、無濾過の生原酒を極低温で凍らせて濃縮したもの。

純米でありながら、アルコール度38,5度を実現したお酒、とろりとした紹興酒のような濃厚な味わい、仄かな甘味と高いアルコールのバランスが絶妙で、味わい深いお酒です。

藤間さんのお薦めで、バニラアイスに「jo-con」をかけて頂きました。イタリアンデザートの「アフォガード」のような、リッチで素敵な味わいで感激!

楽しい会話は、自然が豊かで、雄大な北海道の食べものの話題で盛り上がり、北海道の食材の限りない魅力は、語り尽くせないほど広がっていきました。

朝食

えりもの海にきらめくオレンジ色の朝陽を浴びて、迎えた穏やかな朝。

えりもの朝陽
えりもの朝陽

朝ごはんは、秀子さん手作りのあったかい朝ごはん!

美味しい朝ごはん
美味しい朝ごはん

鰈の煮付け、酢だこ、蛸刺し、昆布の佃煮、手作り豆腐、
海藻の味噌汁、漬物、納豆、サラダなどなど、海の幸が盛り沢山!
朝からしあわせ気分〜 ♬

食後に、えりもの牛さんたちが戯れる広大な牧場、牛舎などを案内して戴きました。

冬の牧場
冬の牧場
牛舎
牛舎
ギョロ!どなた?
ギョロ!どなた?

強風や寒さに向き合いながら、元気いっぱい動き回る牛さんたち。心に残る貴重な体験をさせて頂き、楽しいしあわせなひとときを満喫できました。

高橋祐之さん・秀子さんご夫妻の温かいお心遣いに心から感謝いたします。ありがとうございました。

えりもの海に降り注ぐ太陽の光
えりもの海に降り注ぐ太陽の光

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<道新ブログ> 【日高・胆振・石狩】襟裳岬〜支笏湖ドライブ 2泊3日(2015年1月16日)
短角王国 高橋ファーム「ファームイン守人(まぶりっと)」(えりも町)(2014年12月9日)
感謝!夫婦の新たな旅立ちの歓送会@東京ヴァンテアンクルーズ・サンセットクルーズ(2010年5月29日)

✧ noboru & ikuko

短角王国 高橋ファーム「ファームイン守人(まぶりっと)」

地図:短角王国 高橋ファーム「ファームイン守人(まぶりっと)」北海道幌泉郡えりも町えりも岬 406-1
Tel:01466-3-1129 
【チェックイン/アウト】
 ・ 5月 ~ 9月 16:00 / 10:00
 ・10月 ~ 4月 14:00 / 10:00
【宿泊した部屋】 和室(2F)
【温泉/貸切風呂】無し / 家族風呂

焼肉小屋「短々(たんたん)」
 ・09:00 ~ 17:00
 ・17:00 以降は予約制(冬季も営業しています)
 ・定休日:毎週火曜日

【ホームページ】短角王国 高橋ファーム

高井瑞枝先生「北海道と沖縄・人と食の橋」(札幌市在住)

2014年12月10日(水)

11月8日(土)、9日(日)の2日間、沖縄県糸満市「ファーマーズマーケットいとまん うまんちゅ市場」にて、高井瑞枝先生(67歳)率いる「北海道フェア」が開催されました。

北海道からの参加は、ファーマーズ・クラブ雪月花(妹背牛町)、合同会社 北の杜倶楽部(旭川市)、有限会社 丸二永光水産(枝幸町)、そしてJAきたそらち(深川市)・北竜支所(北竜町)の皆さんです。

北海道の新米(ゆめぴりか、ななつぼし)、北海道の豆類(金時、黒豆、黒千石等)、北海道野菜(じゃがいも、かぼちゃ等)、オホーツク海の魚貝類など北海道の特産品が並びました。

「北海道フェア」開催に先立つ10月23日(火)、お忙しいところ高井先生に「北海道と沖縄の橋渡し」に関するお話を伺いました。

大会瑞枝先生

▶トータルフード・コーディネーター 髙井瑞枝先生(食・工房ミイロ 代表)

高井先生は5歳の時から食に関わり、18歳からリュックを背負い単身で海外へ渡航、食に関する本格的な学びを開始。生産現場に出かけ、畑の土を読み、動物の解体を学び、各国のお料理やケーキづくりなどを習得。世界各国で、料理指導や食品加工指導など食に関するあらゆる仕事をする中で、様々な場所で沢山の人々との感動的な出会いに導かれています。

▶ 食に関わってきた50年

1947年(昭和22年)
・6月30日北海道音更町生まれ、枝幸町育ち
・獣医(大動物の臨床医)のお父様の教えである「命を戴く食べもの」という考えが、高井先生の「食に関わる人生の原点」となる

1965年(昭和40年)
・高校卒業後食を学ぶために、18歳で40kgもの生活必需品を詰めたリュックを背負い単身で沖縄に渡り、そこから世界中を旅する。旅先で出会う人々から「ミイロ」という愛称で呼ばれ多くの人々に愛される
・英語を覚えようと、汽車から降りては野原に寝っ転がって辞書の単語を暗記。「覚えた単語は絶対に忘れない」との覚悟で暗記したページを破っては捨てていった
・訪問先については、事前に十分に調査。現地に到着後、おかしいと感じたら近づかず危険を回避。身についたものこそが自己の財産となることを体感する

1972年(昭和47年)
・24歳のとき北インドにて、スパイス作りについて土作りから作付け・収穫・加工・ブレンドなどを学ぶ。その後、日本料理・四川料理・インド料理を数か国で学び、ギリシャでは大動物の屠殺・解体を習得

1977年(昭和52年)
・29歳、食についてさらに学ぶために、米国アラスカ州のコミュニティ・カレッジに入学。フードサービスのテクノロジーとマネージメントを学ぶ。土壌学、建築学、心理学など総合的に幅広い分野を修学
・心理学の授業では、その内容が複雑で、「私は食に関することを学びたいのに・・・」と考えていた。しかし、「人の居ない所には、食はないんだよ」という心理学の先生のお言葉に衝撃を受け、「人間の心と食べものは一体となっている」ことを痛感。食べものは、身体を形成するだけでなく、人間の心に大きな影響を与えていることを学ぶ
・「食べものは、太陽・土・水などの自然環境の中、作る人・食べる人など多くの人々よって育まれ、支えられているもの。あらゆる食べものに対する深い愛情と思いやりが大切です」と高井先生

1978年(昭和53年)
・30歳、結婚。アラスカで出会った高井收さん(現・小樽商科大学名誉教授)と8回目のデートで結婚

1979年(昭和54年)
・31歳、ホテル、レストラン等でキッチンマネージャーを歴任

1980年(昭和55年)
・32歳、米国オレゴン州にて有機農法を学ぶ
・米国オレゴン州ケーキデコレーションコンテスト1位入賞

1981年(昭和56年)
・33歳より、米国 L.C.E.S(International Cake Exploration Society)会員となる(1989年より1997年まで同会日本支部会長を務める)

1984年(昭和59年)
・36歳、アメリカ・カリフォルニアの大学でベーキング部長を勤め、ケータリング・パーティーコーディネート講師・食材開発指導を行う

1988年(昭和63年)
・ケーキデコレーター修士課程終了

1988年(昭和63年)
・ご主人・高井收氏が、国立大学 小樽商科大学の教授に就任するため帰国(2年遅れで、瑞枝先生も帰国)

1989年(平成元年)〜1997年(平成9年)
・米国 L.C.E.S(International Cake Exploration Society)日本支部会長を務める

1990年(平成2年)
・42歳、札幌市内で食に関する活動を開始
・日本での職探しは困難を極める。あるとき飲食関係の会社の人事部長から別室に呼ばれて言われたことが「採用する会社があなたのキャリアを活かすには、あなたを現場のトップに置かなければならない。しかし、今の日本の人事制度では難しい。あなたは、自分で仕事をするのが一番いいですよ」この言葉で、高井先生は自立の道を選択する
・料理講師、講演活動、食材・商品開発指導、食による地域開発指導等、様々な分野で勢力的に活動の場を広げて活躍中

1993年(平成5年)
・45歳、米国アイオワ州デモイン市・名誉市民となる

2003年(平成15年)
・55歳、私塾「たかい塾」を立ち上げる。農業改良普及指導員等の専門家育成を行う。今年11年目を迎える
・同年、北海道米販売拡大委員会「親子ごはん塾」の専任講師に就任。札幌の幼稚園数か所で「おにぎり指導」を毎年開催

2004年〜2009年(平成16年〜平成21年)
・拓殖短期大学新規就農サポートセンター理事就任

2010年(平成22年)
・62歳、北海道立北高等学校にて「高校生ごはん塾」の専任講師に就任
・農産物生産及び販売事業・合同会社 北の杜倶楽部(美瑛町)顧問、米生産及び販売事業ファーマーズ・クラブ 雪月花(妹背牛町)顧問に就任

2014年(平成26年)
・67歳、高井瑞枝先生率いる「第1回北海道フェア@沖縄」が開催される
・北海道より4事業者が参加

▶ 職業
 ・トータル・フードコーディネーター
 ・健康管理士一般指導員(登録番号:H23339)

▶ 現職
 ・北海道フードマイスター認定制度運営委員(副委員長)
 ・一般財団法人世界保健機関日本財団(WHO−JF)特別顧問
 ・社団法人日本冷凍食品協会 専任コンサルタント
 ・北海道中小企業総合支援センター 専任アドバイザー
 ・農産物生産及び販売事業「北の杜倶楽部」顧問
 ・米生産及び販売事業ファーマーズ・クラブ「雪月花」顧問

▶ 著書
 ・『グルメルシークッキング』(代三書館)1998年出版
 ・『食の架け橋〜 一人旅一食一会』(彩流社)2009年出版

▶ その他
 ・北海道放送(HBC)ラジオ「朝刊さくらい朝の三枚おろし・高井瑞枝の北海道は食の宝島」コメンテーター
  (木曜日担当)2006年4月より2014年3月まで

笑顔を絶やさない高井瑞枝先生

▶ 高井瑞枝先生が大切にしていること

▶ 高井先生が尊敬する3人の先生の教え

・ スパイスのアローラ先生(インド)

インドの現地で尊敬されていたアローラ先生から戴いたお言葉は「ミイロ、あなたは正しい知識を身に付ければ、世界中どこへいっても食の仕事ができますよ」。この後、高井先生は、米国アラスカ州のコミュニティ・カレッジでフードサービスのテクノロジーとマネージメントを習得。

・ 四川料理の宋先生(台湾)

四川料理を学ぼうと第一人者の横浜中華街の宋先生を訪ねたところ台湾に帰国するとのこと。そこで、高井先生は身一つで台湾を訪れ、頼み込んで宋先生の弟子入り。四川料理の奥深さを目の当たりにした高井先生は、自分はプロの料理人になることは無理であると悟る。そこで、自分ならではのスタイルで食に関わっていくことを決意。

・ ロバート・クラーク教授(アラスカ)

高井先生:「私が最も尊敬するロバート・クラーク先生は、物事のどこの切り口から入っていっても、必ず課題を解決できる素晴らしい先生です。ロバート・クラーク先生を超えることは到底できないと思っていました。
クラーク先生がお亡くなりになる5〜6年前、アメリカで言われた言葉が『ミイロ、君はぼくを超えたよ。僕の生徒の中で君が一番だよ』。私にとって最高の褒め言葉をいただきました。そして気が付くと、その頃から私は何も持たず、身体一つで仕事に行くようになっていました」

▶ 高井先生の人生における座右の書・レイチェル・カーソン著『沈黙の春』

高井先生が、食に関わって歩み続けた人生の中で指針としている本は、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』。
環境破壊に対して警鐘を鳴らした『沈黙の春』は1962年(昭和37年)に出版される。

レイチェル・カールソンは、出版2年後の1964年(昭和39年)4月14日、癌で逝去されました。
今年、没後50年記念の集いが、全国各地(京都・東京等)で開催され、彼女の偉大なる遺志は、50年後の今でも広く語り継がれています。

レイチェル・カーソンの魂とともに歩まれた高井先生の人生行路、高井先生が食に関わってきた50年のすべてが今に繋がり、人々の輪が大きく大きく広がっています。

ハイビスカス(うまんちゅ市場・グリーンハウス)

▶ 物を見極める力・嘘を見抜く力を養う

「すべてを鵜呑みにしないことです。物事は、自分の能力以上のことは理解できません。どれほど素晴らしいものを見ても、素晴らしいと感じる能力や知識が無ければ、理解することができません。本物を理解する能力は、自分で育てるしかありません。人の話を聞いて、どこまでが本当でどこまでが嘘なのかを判別できる力を養うには、本物を自分の目で見て感じ取れるように感覚を育てることが大切です」と高井先生。

高井先生は、情報に対してあらゆるアンテナを立て、常に変化する世の中の流れをキャッチし、その流れに応じて行動されています。ピンと来た時は、すぐに自ら現場に足を運び、自らの目と感覚で確かめていらっしゃいます。

▶ 「命を戴く」食べものは、人と人を繋ぐ架け橋

世界中を歩きまわり、様々な人々と出会い様々な経験をしてきた高井先生。それは、嘘のない真実を見つめて歩み続けてきた高井先生ならではの人生です。本物を自分の目で見て体験し、自分自身の心と身体に染み込ませてきたからこそ、真実を見極めることができる高井先生。そこには「命を戴く」食べものが存在し、その命ある食べものを通しての様々な人々との素晴らしい出会いがあります。

「食に関わって50年。そのすべてが今に繋がっています」という高井先生のお言葉には、熱い魂の力強さが感じられます。

神秘的な出会いといえるような素敵な人々との交流が、高井先生の著書である『食の架け橋』(ひとり旅1食1会)に描かれています。こうして世界の数十か国を巡り、人一倍の努力と経験を経て、今や世界に通用する確固たる実力をもったトータル・フード・コーディネータとしてご活躍中です。

食べものは、人間の身体をつくり、生命を育んでいく根源的なもの。
人間にとって、食べものは命そのもの。
食あるところに人(生命)があり、そこに人と人との繋がりが生まれる。
命ある食べものこそが、人と人、心と心を繋ぐ架け橋なのです。

▶ 北海道と沖縄の架け橋

現在、北海道と沖縄の食の橋渡しで北と南を駆け巡り、ご活躍中。
この事業の一貫として、JAおきなわ・ファーマーズマケットいとまん・うまんちゅ市場(糸満市)での高井瑞枝先生率いる「北海道フェア」が実現しました。

▶ 「美らキャロット」(糸満市喜屋武地区産)がご縁

高井先生は、11年程前の2003年(平成15年)頃、沖縄県粟国島の小渡幸信さんの「粟国の塩」に出会い、年に一度は沖縄を訪問。沖縄と接点を持ち始めていました。

その頃、高井先生が那覇市で開催された食のイベントに参加した際、勧められて試飲したのが、糸満市喜屋武(きゃん)地区の特産品・ニンジン「美ら(ちゅら)キャロット」。その極上の味わい深さに感激された高井先生。そこで、「美らキャロット」の産地普及活動で、自ら人参を売り歩いてた当時の糸満市役所農政課の金城盛憲 課長にコンタクトされます。
金城課長は「いつでも現場をご案内しますよ」と高井先生に告げました。

北海道に戻った高井先生はスケジュールを調整して糸満市へひとっ飛び。金城課長は「『いつでもどうぞ』と言ったものの、本当に来た人は高井先生が初めて!」とびっくり。金城課長に案内されてにんじん農園を訪問。地域に根ざした「美らキャロット」の様々な取り組みがスタートしました。

▶ 北海道の美味しい米を沖縄の人々に食べてもらいたい

高井先生が沖縄滞在中、沖縄で販売されていた「北海道産米」が、低品質の混合米であることに直面。「北海道の美味しい米を沖縄の人々にきちんと食べてもらいたい」そう痛感した高井先生は、とにかく沖縄の関係者に北海道の稲作を見てもらおうと思いました。それも、自費ではなく組織として決裁を経ての視察を希望しました。

その想いに応えた、JAおきななわ・ファーマーズマーケットいとまん・うまんちゅ市場(糸満市)の浦崎進 店長(当時)は、稟議をきり北海道へ出張の許可を得て来道。高井先生は知人や関係者に頼み、JAきたそらち米貯蔵施設「深川マイナリー」、同北竜支所の大型石抜機や色彩選別機などでコンピューター処理された施設などの訪問先を調整。
高井先生は、浦崎店長を3日間案内されました。

その後、高井先生は何回も沖縄〜北海道間を行き来し、関係者間の様々な課題を克服・調整。「美味しい北海道米を沖縄の人々に食べてもらいたい」という高井先生の想いに賛同する多くの方々の努力により、3年の年月をかけて今回の沖縄での「北海道フェア」が実現しました。まさに、熱い想いと人々の繋がりが架け橋を作っていったのです。

こうした高井先生の活動は全て自費。
「北海道と沖縄の食の架け橋を作りたい」という、北海道人ならではの想いが根本的な原動力です。

◆ 北竜町ポータル・関連記事はこちら

第1部:高井瑞枝先生が架ける「北海道と沖縄・食の架け橋」北海道フェア(糸満市)(2014年12月10日)
第2部:北海道フェア@ファーマーズマーケットいとまん・うまんちゅ市場(糸満市)(2014年12月10日)
第3部:北海道フェア交流会(糸満市)(2014年12月10日)

☆ noboru & ikuko