北海道運輸局・磯崎道利 局次長を表敬訪問

2016年2月9日(火)

九州取材の帰り、札幌第二合同庁舎にある国土交通省 北海道運輸局を訪問しました。

北海道運輸局局次長 磯崎道利様 表敬訪問
北海道運輸局局次長 磯崎道利様 表敬訪問

昇さんの商船大学時代の同級生である、磯崎道利さん(北海道運輸局次長)を表敬訪問するためです。

磯崎道利様
磯崎道利様

磯崎道利さんは、大学時代柔道部、水泳も黒帽でスポーツ万能、更に成績もトップクラス。大学時代、黒帽の昇さんと一緒にホテルのプールの監視員などのバイトをした仲間だそうです。

卒業後は、運輸省航海訓練所に就職し、練習船の船長として、多くの航海士・機関士を育成。その後、本省勤務となり、海事関係に携わり、2014年北海道運輸局次長に就任。観光海事振興海上安全をはじめ、北海道の運輸全般に携わっていらっしゃいます。

「いやぁ〜、懐かしいなぁ〜」、
「北竜町のひまわりを観に行きたいと思っているんだけどね。なかなか行けなくてねぇ」

と気さくにお話してくださった磯崎次長。笑顔がとても優しい方です。
これからも、北海道の観光・運輸を宜しくお願いします!

北海道地図をバックに記念撮影
北海道地図をバックに記念撮影

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高橋武市さんの植物園・陽殖園(滝上町)

2015年9月28日(月)

滝上町の私設花園「陽殖園(ようしょくえん)」。
芝桜で有名な滝上町、童話村たきのうえ「ホテル渓谷」にほど近い所に位置する私設植物園「「陽殖園」。

道路脇に立てられた「日本一変っている花園 陽殖園 高橋武市」と書かれた立て札が印象的!!!

「日本一変っている花園 陽殖園 高橋武市」の立て札
「日本一変っている花園 陽殖園 髙橋武市」の立て札

道に沿って上がっていくと、駐車場。大きな看板が掲げられた鉄門が開かれ、看板には、

「面積約8万平方メートル、園内通路述べ4.6km、小山多数、池5ヶ所など」や「イツモハナサク 自然風観光花園、楽しく園内で過ごすために以下の事を守って下さい」というの文字が。。。

現在、園内の通路の長さは、5kmを超えているとのことです。

門を入って行くと受付小屋に、園主・高橋武市さん(74歳)が穏やかな笑顔で出迎えて下さいました。

笑顔が優しい、園主の髙橋武市さん
笑顔が優しい、園主の髙橋武市さん

入園前にノートに名前を記入し、園内マップが渡されます。さらに「熊よけの鈴」をつけたベルトを腰に撒いて。。。

園内地図
園内地図
ベルトにつけた「熊よけの鈴」
ベルトにつけた「熊よけの鈴」

14歳の時から、花の行商を行いながら、約8万平方メートル(8ha)の敷地をたった一人で作り上げてきた髙橋武市さん。

一輪車を押して土を運び小山を築き、池を堀り、道を造って、草刈りを行い、今年2015年で、創立60周年を迎えます。

還暦とも言える節目の今年の8月には、造園の景観や文化的価値が高く評価され、「北の造園遺産(公益社団法人 日本造園学会北海道支部)」という名誉の認定を受けられました。

この受賞は、オホーツク管内初の快挙です。

日曜日は、8時半から10時までの1時間半、髙橋武市さんの丁寧なお話を聞きながら園内を散策できます。

園内は、季節の花々が咲き集い、高さ5〜6mもありそうな小山、大きなトンボが飛び交う池、マツやオンコの樹木が生茂り、花園散策というよりは、まさに「山歩き」。

曲がりくねった細い歩道、樹木の間をゆったりと進んでいく歩道には、ウッドチップが敷かれていたり、苔生していたり。。。アップダウンの道ですが、とても歩きやすい道が続いています。

マグノリア、フロックス(花魁草)、アナベル(アメリカノリノキ)、エゾリンドウ、エゾハマフウロウ、クロックス、エゾオオヤマハコベ、ワレモコウ、ゲンペイハギ、ミヤギノハギ、 クロスコミア、キソステギア、レンゲソウ、アジサイ、ツリガネニンジン、エゾゴマナ、アキノキリンソウ、ツツジ、カリガネソウ、セイタカアワダチソウ、アカズキン、オギナエシ、オトコイシ、イタドリ、レンゲショウマ、リオン、リコリス、エゾミソハギ、アブラガヤ、ヤナギタンポポ、ナミキソウ、ユキワリソウ・・・

「これからは、ハギの季節、ミヤギノハギ、シロバナハギ・・・一番早く咲くハギは7月20日に咲き始めます。早咲き、遅咲き、色んな種類を組み合わせて常にどこかで花が咲いている状態を維持できるように設計しています」と武市さん。

種類の違い、花の形状、色合いなど、丁寧にわかりやすく教えて下さいました。終わった花、これからの花、今満開の花、交配して色や形の変化した花々・・・

「花にも姿形様々で、美人だけどスタイルがイマイチだったり、スタイルバツグンだけどお顔が冴えなかったり、千差万別です」。

様々な種類のハギを説明する武市さん
様々な種類のハギを説明する武市さん

「この辺りで4月下旬にはスイセンが咲き始めますが、園内には60種類のスイセンが存在します」と武市さん。

「チチ!おいで!」と可愛い小鳥に声をかけながら・・・

「この花園には、何種類くらいの花が咲いているのですか?」と質問すると、

「何種類あるか、数えてみてください!言葉で理解するのは簡単ですが、是非、この場所で、花の種類を実感してみてください!!!」と武市さん。

園内8haの敷地に800種類以上の花が咲く
園内8haの敷地に800種類以上の花が咲く
武市さんのユニークなお話を交えて楽しい会話が弾む
武市さんのユニークなお話を交えて楽しい会話が弾む
花に対する愛情いっぱいに語る武市さん
花に対する愛情いっぱいに語る武市さん

「道は歩きやすいように考えながら、小屋の入り口付近の道は5年程かけて、手掘りで作り上げました」。「歳をとっても歩けるように、とにかく道はなめらかにと考えてやってきました。この造園に一生をかけようと思ったからこそできる業です」。

「歩きやすい道を作るのに、何年もかかって手作業で行います」と武市さん
「歩きやすい道を作るのに、何年もかかって手作業で行います」と武市さん

「お金が無い時代は、ナイナイ尽くし、あるのは『若さとやる気と本気』。

周りの人々に、散々色んなことを言われましたが、人と自分を同じにしてはいけない。人は人、自分は自分。人ができるからといって自分ができるとは限らないし、人ができないから自分ができないとは限らない。

自分でやれることを自分で見つけ出す。その中で、苦しいことはたくさんあるけど、ただ口だけ動かしても何もできない。とにかく身体を動かして実行することによって成し遂げられます」

「自分のできることを生涯をかけてやり抜いていくことが私の仕事です」
「自分のできることを生涯をかけてやり抜いていくことが私の仕事です」

「自然風(しぜんふう)の景色で、この「ふう・風」が大切!」。

「花には色気が大事、可愛らしさも必要、バランスも大切。
 地形や風景は、すべて頭の中で描かれていく」。

「幻想的な道は私のマジックショー、道には番号札が設置されているので、迷うことはありません!」。

地図に示された番号札
地図に示された番号札
歩きやすい道もすべて武市さんの手作業
歩きやすい道もすべて武市さんの手作業
「石の上にも3年というように3年のたてば苔生してきます」と武市さん
「石の上にも3年というように3年のたてば苔生してきます」と武市さん

「空気がヒンヤリと冷たく、苔生した歩道、立ち止まって振り返った風景を二度も三度も楽しんでください。花だけでなく、風景も全部楽しんでもらいたいのです」、

「お客様の為に、自然の絨毯をつくりました!」、

「人間は自分が利用できないものは、みんなゴミとしているが、ゴミと見ている人間のほうがゴミ。利用の仕方をみれば、それは宝物。

自分の町には何もないという人がいます。そこには必ず宝がある。宝が存在することに気づいていないだけ。ないと思うのは、その人の頭の中に何もないだけ」。

「雑草は存在しない。昔、天皇のお言葉に『名前のない花があったら私が名前をつけてあげますよ』というくらい、雑草という名の植物は存在しません」、

と命あるすべてのものへの深い愛情が感じられる武市さんのお言葉の数々。。。

武市さん手作りの「トンボ池」
武市さん手作りの「トンボ池」

「つるあじさい」樹齢58年のマツの木(ストロープ)に巻き付いたツルアジサイ。

樹齢58年のマツの木に巻き付いたツルアジサイ
樹齢58年のマツの木に巻き付いたツルアジサイ
道を彩どる季節折々の野生の花達
道を彩どる季節折々の野生の花達
たくさんの虫達が共存する池も武市さん手作り
たくさんの虫達が共存する池も武市さん手作り
鮮やかな色彩のリンドウ
鮮やかな色彩のキキョウ

「エリカの山」。

秋咲きのエリカの山
秋咲きのエリカの山
青空と光を浴びて輝く花々
青空と光を浴びて輝く花々

「案内の後も、自由に散策して、充分楽しんでいってください。太陽の光、風の流れ、温度や湿気の高低によって、花の咲き具合、色鮮やかさがそれぞれ違う風景が広がってきます」、と説明を終えた武市さん。

髙橋武市さんの人生そのものを表しているような花園「陽殖園(ようしょくえん)」まさに、「太陽が育て殖やしてくれる庭」!!!

武市さんの植物へのあたたかい愛情のこもった素晴らしいお話の数々とともに、すべての生き物が自然とともに共存し合う、癒やしの空間・陽殖園に、大いなる愛と感謝と笑顔をこめて。。。

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陽殖園(ようしょくえん)

地図:陽殖園北海道紋別郡滝上町あけぼの町
Tel:0158−29−2391
(お問合せ電話はできるだけ21:00から21:30にお願い致します)
【営業時間】4月下旬〜9月最終日曜日まで
【定休日】 期間中無休
【駐車場】 十数台分あり

【参考ページ】
滝上町HP・陽殖園
滝上町観光協会・陽殖園
童話村たきのうえホテル渓谷・陽殖園

高橋千秋シェフ・シャトレーゼガトーキングダムサッポロホテル & スパ・リゾートの総料理長(札幌市)

2015年5月12日(火)

プレステージディナー2015の余韻も冷めやらぬ翌朝、
宿泊された参加者の皆さんとともに味わう朝食バイキング会場は、
川面を眺めながらのフレンチレストラン「ル・バラト」です。

食後、髙橋千秋シェフと一緒に感動の記念撮影、パチリ!

髙橋千秋氏を囲んで、皆さんと一緒に記念撮影
髙橋シェフを囲んで、皆さんと一緒に記念撮影

朝食後に、高井瑞枝先生(トータルフード・コーディネーター)のご紹介により、髙橋シェフにお話をお伺いすることができました。

フレンチレストラン「ル・バラト」にて
フレンチレストラン「ル・バラト」にて

髙橋千秋 総料理長のプロフィール・数々の受賞

1951年(昭和26年)北海道白楠町生まれ
・レストラン「コートダジュール・赤とんぼ」を皮切りに渡仏。パリ郊外三ツ星レストラン「カメリア」で、人間国宝シャン・ドラベーヌ氏のもとで修行を積む。帰国後も東京、札幌、神戸、函館と、一流ホテル・レストランで食の完成と技に磨きをかける
・2002年(平成14年)「シャトレーゼガトーキングダムサッポロホテル&スパ・リゾートに移籍、現在に至る
・その腕前は海外でも高く評価され、王様のコック長と呼ばれる氏を称えた「エスコフィエの弟子」の称号を受賞

1996年(平成8年)
・日本ディック社より発刊された料理書『新西洋料理』の中で、日本スペシャリティーシェフに選ばれ紹介される

1997年(平成9年)
・食通達にとって最高のプレステージを持つ団体『シェーヌ・デ・ロティスール』協会の金メダル賞を受賞
・同年チャリティ活動を熱心に行い、イギリスのワールドマスターシェフズ・ソサエティー(アン王女主宰する世界40カ国のシェフ、美食家たちで組織する団体)の金メダル賞を受賞

1998年(平成10年)
・厳しい審査のもとに選び抜かれた最高の技術を認められ、フランス料理界でも最高の権威のある団体アカデミー「キュリネール・ド・フランス(フランス最高料理家アカデミー)の名誉賞を受賞

2000年(平成12年)
・クラブガストロノミック・プロスペールモンタニエ聖フォルチュナ・シュヴァリエ料理勲章を受章

2004年(平成16年)
・八重洲会(日本最高料理家アカデミー協会)の名誉金メダル勲章を受章
・アメリカ・サンフランシスコ、リッツカールトン・ザ・ダイニングで北海道フェアを開催、国内外に高い評価を得る

著書に『総料理長・髙橋千秋の世界』、写真集『ばらとの四季』等があり、名実ともに北海道を代表するシェフです。

幼少時代

「実家が酪農を営んでいたので、小さい頃から家族皆で手伝いをしていました。私は、9人兄弟の末っ子。兄が空気銃で鳥の狩猟を行っていたので、一緒にリュックを背負って猟犬を連れ鴨を捕りに河に行ったものです。また、母は料理が上手で、その中でも魚をさばくのが最も得でした。
私は小学校3年生の頃から包丁を持って手伝っていました。魚だけでなく、当時野放しにされ野生になったうさぎやミンクを捕まえては、捌くのを手伝っていました。ホテルの料理人になったとき、魚・肉を難なく捌いていることを先輩に大変驚かれました」、

と話される髙橋シェフのお言葉から、酪農、狩猟、漁業と様々な生活環境の中で小さい頃から育まれてきた貴重な体験が、今の髙橋シェフの基礎となっていることを感じました。

東京での修行:「赤とんぼ」そして「ホテルオークラ」時代

髙橋シェフは、東京で修行し3年間の実務経験で調理人資格を取得、さらに、仕事をしながら通信教育を受け、高校を卒業されました。

「中学を卒業した15歳のとき、東京を目指し18時間かけて夜行列車で向かいました。列車に揺られながら、日本で有名なホテル・レストランはどこだろうと考え、思いついたところが『帝国ホテル』『ホテルオークラ』でした。東京についてから、ホテルオークラへ直行し、総支配人に合わせてくださいと懇願。ロビーで待っていると支配人が現れ、料理人になりたいという私の話し聞いてくれました。

『髙橋くん、ホテルオークラには、450人くらいの料理人がいます。修行は、従業員食堂からの料理作りから始まり、ウエーターを経験し、ようやくキッチンに入れます。タイミングが合わないと、なかなかホテルの料理人にはなれないものです』という総支配人のお話し。

そのことを理解し、生活のために、レストランで働くこと決め、当時募集があったレストラン「赤とんぼ」(虎ノ門)の門をくぐり採用されました。そのお店は、カレーの有名店で、当時全日空の機内食(サンドイッチ)を提供していました。三鷹市内にアパートを見つけ、そこから虎ノ門通い。朝3時半から出勤しサンドイッチ作り、それが終わると6時からカレー作りを毎日こなしました」。

この時期が髙橋シェフの原点になっているそうです(赤とんぼには2年間程勤務)。
この間、ホテルオークラへの就職を諦めることなく、毎日のように、ホテルに入りたいという想いをこめた手紙を書き総支配人に封書で送付。
2年間にわたり手紙を送り続けたところ、総支配人から連絡がありました。

「こんなに毎日手紙を書いて想いを綴った人は、いままでに一人もいません。社長に手紙を見せた所『こんな熱意のある子はいないので、どこでもいいから使ってあげなさい』という社長のOKがでました。髙橋さん、持っている一番良い服を着て、明日来てください。ホテルは、戦国時代で言えばお城です。ホテルに一歩入ったら、料理人として極める気持ちをもって高い意識で臨んでください」というものでした。

早速、髙橋シェフは、靴を丁寧に磨き、ワイシャツにネクタイをし、一張羅のスーツを着てホテルへ向いました。
そして、最初に配属された場所は、従業員食堂でもウェイターでもなく、最初から洋食のキッチンでした。

「宴会などが多く、多くの仕事をしなければなりませんが、やる気が強かったので、苦になりませんでした。誰よりも朝早くから出勤し、先輩方の下準備など、他の人がやらないようなことを率先して行いました。食器洗い担当は何十人もいるのですが、『誰にも負けない』との想いで、重い銅鍋を顔が映り込むまでピッカピカに磨いたものです。先輩がきれいな鍋に驚いて『誰がこの鍋を洗った!?』と聞かれたりしました」と無我夢中で過ごした日々を熱く語る髙橋シェフ。

人生を熱く語る髙橋シェフ
人生を熱く語る髙橋シェフ

ホテルオークラでの3年間

「当時のホテルオークラには、セクションが30程ありました。私は、様々なセクションに配属されました。普通同じセクションに3~4年配属されますが、私の場合、短いところでは1か月もいないことがありました。『何故自分は、長く置かれないのだろうか、必要とされていないのではないだろうか?』悩み、悔しい想いを抱いていました。その当時は短い期間の配属の意味が理解できず、セクションを変えたセクション長を恨んだことさえありました。最終的には、ほとんど全てのセクションを経験していました。

当時の師匠は、嶋村光夫 セクション長。『見込のあるものには、より多くのセクションを回らせることが、経験と実力につながるものだ。おまえは、これからどんな所ににいっても、どんな料理をしても苦渋することはない。それだけの経験と技を習得したのだから』と最後に言われた親方の有り難いお言葉で、全てを理解することができました。
20歳前後の私を見込んでくれたありがたさをこの時実感しました。洋食全般の全てを経験したのは、当時私だけだったかもしれません。

嶋村光夫 師匠に今だに言われることは『あの時の経験があったからこそ、今の君がいる。今は、どんな料理のオーダーを受けても、考えること無く手が自然に動いて料理をこなすことができるだろう!』というお言葉です」。

じっくりと言葉を噛み締めながら、髙橋シェフは語ってくださいました。
髙橋シェフにとって、ホテルオークラでの経験は、あらゆる料理をこなし、どんなオーダーにもその場で総合的に対処・対応が可能な料理人へと導いていきました。

※ 髙橋シェフの師匠である、フランス料理の名シェフ・嶋村光夫氏(1930年東京都生まれ)は、帝国ホテル、ホテルオークラなどを経て、1987年にロイヤルパークホテル(東京都)の総料理長に就任。1994年フランス農事功労騎士章、1998年オフィシェ フランス農事功労騎士章、2005年黄綬褒章など国内外で多くの受章・受賞を重ねる。2006年にロイヤルパークホテルを退職。

フランス高級レストラン「カメリア」での3年間

当時、フランス料理は最高の料理。ホテルオークラでは、フランスのレストランと提携してフェアが開催されていました。髙橋シェフがホテルオークラに3年務めた20歳の時、フランスへの話しが舞い込み、渡仏。フランス高級レストラン「カメリア」(料理人最高権威者ドラベーヌ氏のお店)で3年勤務、本場で腕を磨かれました。

「函館ハーバービューホテル」「シェラトン」そして「シャトレーゼ・ガトーキングダムサッポロホテル&スパリゾート」

帰国後北海道に戻り、函館ハーバービューホテル(函館市)・シェラトン(神戸市)に14年間勤務。その後、50歳のときに、シャトレーゼガトーキングダムサッポロホテル&スパリゾート(札幌市)へ移られました。。今年で13年目を迎え、現在に至ります。

高井瑞枝先生(トータルフード・コーディネーター)との出会い

左:小渡幸信 所長(粟国の塩・沖縄海塩研究所長) 中:髙橋千秋シェフ 右:高井瑞枝 先生
左:小渡幸信 所長(粟国の塩・沖縄海塩研究所長) 中:髙橋千秋シェフ 右:高井瑞枝 先生

「私が、函館ハーバービューホテルにいた時の食事会(イベント)に高井先生が参加されました。そこで出会った時が最初で、高井先生とは20年来のお付き合いです。
高井先生は、私のイベントにはいつも来てくださって、様々な素晴らしい人々を紹介してくださったり、一級品の食材を紹介してくださったりして、とても有り難い存在です」と髙橋シェフ。

明るい対応で、すべてを前向きに考える姿勢

「職場のスタッフたちには常に明るく元気で接し、楽しいこと良いことは、大きな声で皆で喜びを常に分かち合っています。すると、若い人々のやる気が沸き起こって、どんどん良い方向へ進んで行きます。
昨日のディナーでは、ホテルの全てのセクション(和食・中華・鉄板など)のスタッフが仕事をしています。スタッフみんなが、自分のセクションの仕事だけでなく、お互いに協力し合い、助け合いながら仕事しています。他のセクションの仕事を手伝うことによって、お互いがそれぞれの仕事の良さや大変さを知る良いきっかけとなり勉強になります。ホテルの中で協力しあうことで、色々なセクションを経験できる貴重な体験になっています」と前向きな姿勢で行動される髙橋シェフ。

築き上げてきた信念「与えられたものは、絶対に失敗しない」という姿勢

「今まで、実際に一度も失敗はありませんでした。仕事を与えられて実行する前には、徹底的に本を読んだりしてあらゆる情報を収集し、自分の中に吸収してから実行に移しました。『失敗しない』という信念は、母の教えが基本となっています。
『飯寿司を作るときも、漬物を作るときも、野菜は一つ一つ違うもの。塩加減は毎回異なる。季節ごとにも、作る度にも変わっている野菜の状態を把握しながら料理を変化させて味付けをしていくことが大切』ということを教わってきました。料理をする前に五感を使って食材を確認し、出来上がった状態を予想するという、事前の準備が大切だという基本なのです。
魚や肉をい使うときでも、レシピのまますぐに調理するのではなく、材料を触ったり、裏返したり、突いたり、匂いを嗅いだり噛んで味を確認することが大切なのです。食材の状態を五感で確認して、出来上がり状態を読んで料理することは、母親から自然に学んでいたことです」。

お母様のお言葉「頭に描いたことは言葉にしなさい。そうすれば必ず実現します」

「亡くなった母親の言葉は『頭に描いたことは言葉にしなさい。それがとんでもないことでも、誰かが心の片隅に描いてくれるのもです。ものごとは、言葉にすると必ず実現します』です。この母の言葉を私はいつも心に描いています。そんな母に対して大変残念なことがひとつあります。それは、83歳で亡くなった母に私の料理を食べさせてあげられなかったことです」

人生最後の仕事「人生最後に、もう一度食べたいと思えるような美味しいお料理を作ること」

優しいまなざしの髙橋シェフ
優しいまなざしの髙橋シェフ

「立派なホテルでの料理も大切ですが、人生最後のときに『あのお料理が美味しかった』と想われるようなお料理(ソース・スープ)は大切な思い出です。人生の中で『最後にもう一度あの料理を味わいたい』と思われるような料理を作ることが、自分にとって最後の仕事だと思っています。
以前、私を可愛がってくれた帝国ホテルの村上先生の料理研究所のメンバーだった頃の話です。先生から「高齢者のお客様から『人生最後に食べたいものは、帝国ホテルのコンソメスープです』という嬉しいお話をいただきました」というお話を聞いて、人生において、食べものは文化であり、とても大切なものであることを実感しています」と髙橋シェフ。

小さい頃から、生かし生かされる生命の循環を生活環境の中で実践し、「命をいただく」ことの尊厳さと偉大さを実感して、「食」という道を歩んでこられた髙橋シェフです。

「すべてを前向きに明るく、
成功する自分を描いて歩んでいけば必ず実現する」
というお母様のお言葉と重なり合う髙橋シェフの人生。

髙橋シェフの限りない誠実さと忍耐と絶え間ぬ努力に
大いなる尊敬と感謝と祈りをこめて。。。

茨戸川に沈む夕陽
茨戸川に沈む夕陽

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